村上春樹の「オリジナリティーについて」から

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村上春樹のエッセイ「職業としての小説家」の”オリジナリティーについて”というタイトルの作品で、とても印象深い文章に出会うことができました。

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職業としての小説家 (新潮文庫) [ 村上 春樹 ]

次のような文章です。

もしあなたが何か自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうです。そういうときはもう一度最初に戻って、楽しさを邪魔している余分な部品、不自然な要素を、片端から放り出していかなくてはなりません。 (「職業としての小説家」p99)

このような作業を村上は、”「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、「自分から何かをマイナスしていく」という作業”と語っています。

そして、そのマイナスするかどうかを決定する際には、自分にこのように問いかければいいのです。

それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか? (同書 p98)

これは、偉大な作家や芸術家にとっての指針になるであるはずですが、まったくの”普通の人”である私達が、楽に幸せに生きるためにも、重要なことでないかと思いました。

何が楽しいかどうかは、ひとぞれぞれ違います。ですから、この作業は他の誰かや、インフルエンサーにやってもらうわけにはいかないのです。一人ひとりがやっていくべき作業なのだと思います。

人生の制限時間を意識するような年齢になったいま、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」という問いかけは、シンプルでありながら、力強さを持っている、と感じました。

引用集: ”オリジナリティーについて”

村上春樹の「職業としての小説家」の”オリジナリティーについて”から、いくつかの文章を集めました。

そのスタイルの質がどうこうという以前に、ある程度のかさの実例を残さなければ「検証の対象にすらならない」ということになります。 (同書 p92)


作家にできるのは、自分の作品が少なくともクロノロジカルな「実例」として残れるように、全力を尽くすことしかありません。つまり納得のいく作品をひとつでも多く積み上げ、意味のあるかさをつくり、自分なりの「作品系」を立体的に築いていくことです。(同書 p93)


せっかくこうして(いちおう)小説家になれたんだから、そして人生はたった一度しかないんだから、とにかく自分のやりたいことを、やりたいようにやっていこうと最初から腹を決めていました。(同書 p97)


「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います。(同書 p98)


自分のオリジナルの文体なり話法なりを見つけ出すには、まず出発点として「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、「自分から何かをマイナスしていく」という作業が必要とされるみたいです。(同書 p98)


もしあなたが何か自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうです。そういうときはもう一度最初に戻って、楽しさを邪魔している余分な部品、不自然な要素を、片端から放り出していかなくてはなりません。(同書 p99)


オリジナリティーとはとりもなおさず、そのような自由な心持ちを、その制約を持たない喜びを、多くの人々にできるだけ生のまま伝えたいという自然な欲求、衝動のもたらす結果的なかたちに他ならないのです。(同書 p101)


とてもシンプルな表現だけど、これがオリジナリティーの定義としてはいちばんわかりやすいかもしれませんね。「新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなくその人自身のものであること」。 (同書 p105)


人々の心の壁に新しい窓を開け、そこに新鮮な空気を吹き込んでみたい。それが小説を書きながら常に僕の考えていることであり、希望していることです。(同書 p105)


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この記事の英語版は、以下となります。
About “On Originality” from the essay "Novelist as a Vocation" by Haruki Murakami

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