『自分の中に毒を持て』 〜 奇跡の岡本太郎

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岡本太郎著の『自分の中に毒を持て』は、岡本太郎自身がそばにいて語りかけてくるような臨場感があります。

そのメッセージを真正面から受けとれば、「失敗したっていいじゃないか!」と開き直りつつ、パワーがみなぎる自分がいることに気付かされる筈です。

本書の特徴

口述筆記で書かれているような、臨場感がみなぎる文章が特徴です。

本書は、「自分の中に毒を持て」シリーズの1作目と位置づけられています。

これに続いて、以下の2作がシリーズとして、続きます。
2作目: 「自分の運命に楯を突け」

3作目: 「自分の中に孤独を抱け」

内容は、精神論をかざしているような感じもします。

しかし、「元気があれば何でもできる!」といったような、根拠のない楽観主義ではありません。

むしろ、岡本太郎の高い知性を濃縮して、最後の表現として言葉になって、したたり落ちる、といった印象を受けるのです。

この記事の中では、個人的に特に関心をもった箇所を中心に記載していきたいと思います。

フランスでの重要な出会い

岡本太郎は、人生を決定づける出会いをフランスでしています。

それが、パブロ・ピカソ、マルセル・モース、ジョルジュ・バタイユ、という、3人の巨人との出会いです。

ピカソの「水差しと果物鉢」という作品に衝撃を受け、「ピカソを超える」、という目標を持ちました。

また、モースから民俗学を学んでいます。クロード・レヴィ=ストロースとミシェル・レリスもモースの弟子なので、太郎も彼らと会っている可能性は多いにあると思います。

ここで民俗学を学んだことが、後の縄文文化、沖縄等の民俗学の研究につながり、そして、「太陽の塔」にもつながっていったのだと思います。

本書では、特にバタイユとの出会いが印象深く語られています。

2,30人集まる会合で、バタイユが演説をしたのでした。
決してなめらかな話し方ではない。
どもったり、つかえながら、しかし情熱がせきにぶつかり、それを乗り越えてほとばしり出るような激しさで、徹底的に論理を展開してゆく。

ぼくは素手で魂をひっつかまれたように感動した。
(『自分の中に毒を持て(新装版)』p53)

このあと、バタイユと急接近し、太郎は、バタイユが主催する神聖社会学研究会や秘密結社のメンバーにもなります。

バタイユを通して学んだことが、太郎の思想へ大きな影響を与えたようなのです。

その辺りの詳細は、以下の論文が参考になります。

岡本太郎によるジョルジュ・バタイユの思想の継承と決別

「太陽の塔」という奇跡

日本のこれからの発展を世界に印象づける大阪万博。

その万博のテーマである「人類の進歩と調和」とは真逆とも思える縄文時代の土偶を持ち出した岡本太郎。

また、日本各地で行われている男根信仰の男性のシンボルも彷彿させます。

「太陽の塔」に関して、本書では、このように書かれています。

およそ気どった近代主義ではないし,また日本調とよばれる伝統主義のパターンとも無縁である。
逆にそれらを告発する気配を負って,高々とそびえ立たせた。
孤独であると同時に,ある時点でのぎりぎりの絶対感を打ち出したつもりだ。
それは皮相な,いわゆるコミュニケーションをけとばした姿勢,そのオリジナリティにこそ,一般を強烈にひきつける呪力があったのだ。
(前掲書 p230)

「太陽の塔」があるおかげで、日本人はここまでやってこれたのではなかったのか?

進歩ではなく、自分の来歴の奥の奥の方を見返すことで、「太陽の塔」は、今、さらに輝いているのではないだろうか?

そこにこそ、太郎の「新しさ」があったのだと思います。

色々な偶然が重なって、「太陽の塔」が作られました。

あたかも、この日本の奥深くに眠っている土着の神々が、あらゆる手段を使って、岡本太郎に「太陽の塔」を作らせたのではないか、と思えてきてしまうほどです。

これこそ、まさに「奇跡」だと思います。

「太陽の塔」に関しては、以下の記事が参考になります。

人類は全然進歩していない! 岡本太郎が作った縄文の怪物「太陽の塔」とは何だったのか?

「芸術は爆発だ」は、単なるキャッチコピーではない

「芸術は爆発だ」は、テレビCMにもなった、太郎の有名すぎる言葉です。

私自身がこのCMを観ていた当時は、この言葉の中に、単にうちにたまっているものを爆発して外に出す、というキャッチコピーぐらいにしか思っていませんでした。

しかし、本人にとっては自分自身の存在意義をかけるほどの重要な考えでありました。

太郎は子供の頃から、「自分の胸の奥深いところに神聖な火が燃えている」という感覚を持っていました。

ある時、パリで、その自分のアイデンティティに関して思いつめ、息苦しさを紛らそうとして映画館に入りました。

しかし、一向に映画は自分の中に入ってきませんでした。

太郎は、映画ではなく、「自分の身のうち奥深いところに無言で燃えている炎だけを見すえ、抱きしめた。」

その時、「パッと目の前が開けた」。

……そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、まもろうとしている。
大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突きとばせばいいのだ。
炎はその瞬間に燃えあがり、あとは無。――爆発するんだ。
(前掲書 p218)

「芸術は爆発だ」の萌芽が生まれた瞬間です。

今、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。
(前掲書 p218)

このとき、太郎はふっきれ、自由になったのである。

「芸術は爆発だ」は、単なるキャチコピーではありません。

岡本太郎という人間が自分の中の問題を目をそらさず対峙した結果辿り着いた、新しい境地なのです。

本書を読んで

沢山のパワー、示唆がありすぎる本書で、とてもすべてを吸収することなどできません。しかし、ただ、ひとつだけ今後やっていきたいことをあげてみたいと思います。

自分の中にある問題に目を背けず、取り組む

フランス留学時代、岡本太郎は、本来学ばなくてはならない絵画ではなく、哲学、民俗学に没頭して、自分の問題に向き合ったのです。結果的に、それがスケールの大きい作家に育てたのです。私も、自分の中に眠ってしまっている問題に、真摯に向き合っていきたいと思います。

関連動画

関連の動画が沢山ありますが、以下が面白いです。

マコナリ社長

マコナリ社長に岡本太郎が取り憑いたかのような動画です。

アバタロー

本書からの引用が多いので、岡本太郎が目の前で語りかけてくるようです。

中田敦彦のYouTube大学

岡本太郎の生い立ちからわかります。岡本太郎を学ぶには、絶好の動画です。


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